2017/11/30
言葉を使って人になにかを伝えることがすきだ。
だけど、自分がまとまった文章でなにかを発することには
これまでずっと抵抗を感じていた。
わたしは有名人でもなければ、学者でもない。
こんなわたしの言葉を誰が欲するだろう?
誰のためでもなく宙を舞う言葉は虚しいと思っていた。

だけどいま、わたしは文章を書いて発していくことに決めた。
誰かに必要とされなくとも言葉を発することを、
やや大人になった私の自意識が許せるようになった。
誰かに影響を与えることを前提とする傲慢さを捨てようとも思った。
そして、自分がなにかを発言しないと選択した時点で、
「わたしは発しない」という(本当に誰も必要としない)メッセージを
世に向けてすでに「発しちゃってる」ことに気づいたからだ。

自分に対して誠実なやりかたで文章を書く。
自分が正しいと思う言葉の使いかたで、
自分が考え感じることをなるべくわかりやすく書く。
そのことだけに集中したいな。
行為や態度に意味や目的を求めすぎるのはわたしの良くない癖だ。

だけど世の中のあらゆる表現と同様に、
誰ひとりにも目撃されることのない言葉は社会に存在しないのと同じ。
だから誰にでも見られる、ひらけた状態にしておこうと思う。

おおむね自分のために発する言葉が、
いつか/どこかの誰かのためになることを
心の片隅でほんの小さく願って。
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