2017/12/22
東京の冬がすき。
とくに、街じゅうがキラキラとした空気に包まれるクリスマスや年末年始が!

わたしが上京してすぐにお付き合いした人は、
東京のお金持ちのおうちに生まれたシティボーイだった。
彼は世界中の音楽やカルチャーに驚くほど詳しく、
いつでも洒落ていて、そしてやさしい人だった。
田舎者の私は、彼の洗練された佇まいや知的好奇心の旺盛さ、
そして他人に媚びないようなところがすきだったけれど、
どうしても追いつけない感覚がいつまでもあった。

彼は冬になると、たくさんのコートのなかから毎日ひとつを選び、
たくさんのマフラーのなかから毎日ひとつを選んだ。
靴はだいたい革靴かコンバースと決めているようだった。
東京の冬の街にはたくさんの人がいて、お洒落をする意味がある。
寒い寒いと言いながらみんながそれぞれの冬の空気を楽しんでいて、
各々が自由に時を過ごしているように見える。
誰かに見られながら、誰にも見られない時を、過ごしている。

わたしの故郷は、冬になると雪ですべてが閉ざされてしまう。
雪が積もれば周りの音は一切聞こえなくなる。
唯一あるのは深夜にやってくる除雪車の轟音と振動だけだ。
あまりに寒いので人々は建物のなかから出ないし、
車で移動するので街の人の視線を受け取ることも少ない。
クリスマスは、同じ屋根の下暮らす家族のためにだけ存在したから
家族のない者はほんとうにひとりぼっちになってしまうだろう。
とても厳しく、残酷だろう。
田舎では、ひとりでいることが異常事態なのだ。

わたしは東京で孤独感を味わったことが、あまりない。
ひとりでいても気にならない気楽さがここにはある。
誰もが周りにある素敵なものや人に興味の視線を投げかけながら、
同時に自分の半径3mにいる人間にしか深い興味をもたない。
だからクリスマスの街を、洒落た身なりでひとりで歩くことがすきだ。
都会にいると、自分を見失わずにいられる気がする。

しかし上京して10年近くたった今でも、
わたしの脱田舎者的メンタリティはあまり変わったように思わない。
都市の自由さを感じつづけていることは、
逆に田舎的な視線を自分自身に投げかけつづけていることなのかもしれない。
都市に嫌気がさす日は、いつか来るだろうか?
田舎の窮屈さよりも都市の冷たさを残酷に感じる日は来るだろうか。

いまでもずっと、わたしは東京にあこがれつづけている。

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