2020/10/26
 小学高学年から中学2年の夏頃まで、私は何かといじめの的になっていた。その頃の記憶はもうかなり薄れていて、というか、脳が記憶しておくことを拒否しているような感じで、断片的にしか思い出せない。辛くなったとき、私は保健室に逃げ込むようになっていた。保健室の先生には、あまりによく来るので呆れられていたと思う。クラスや部活と関わりのない存在である先生と静かな空間に救いを求めていた。
 中学1年の後半から、部活でのいじめがかなり深刻な状況になっていた。言葉の暴力や無視だけにとどまらず、部活中にボールを当てられるなど、私に向けられる行為はどんどんエスカレートしたし、顧問(でさらに最悪なことにクラスの担任でもあった)もそれを知っていながら、見て見ぬ振りを続け、勇気を出して相談してみても「実力で見返せ」などと言われる始末だった。いじめとテニスの実力は全く関係ないじゃんと思ったし、いまも思う。
 部活を休みがちになり、放課後は不良と呼ばれる子たちと教室に残ってしゃべっていることが増えた。今考えると気が合うような相手とは言えない子ばかりだったけれども、そこが唯一存在を許された居場所のように思っていた私は、不良の子たちとうまくやるために、必要のない嘘をつき、なんでもその場のノリで決めて日々を乗り切った。顧問兼担任にはそんな状況を何度も咎められ、生徒指導室に何時間か閉じ込められた日もあった(完全にハラスメント)。三者面談なんかでも親に向かって「最近やる気がない。僕は期待しているんですけどね」などと言われた。そんな日々を続けるうちに、ついに私は無気力になり、たまに死にたいとすら思うようになった。
 中学2年になる頃、私はある不良少女との間に問題を抱えていた。発端はその子がすきな男の子と私が仲良くしているのが気に入らないという程度の話だったけれども、私が誰にも嫌われたくないあまり場当たり的な八方美人の振る舞いをくり返していたことで、どんどん仲がこじれてしまった。
 そしてある朝、事件は起きた。教室に入ると、私の机の上には白い花が置いてあった。お手本のような嫌がらせだった。先に登校していたクラスメイトたちの興味の視線が猛烈に私を貫いた。私はショックな出来事に数秒固まったものの、すぐに状況を理解し、走って教室から逃げ出した。教室を出てから保健室に着くまでのほんの1-2分で、いろんなことが頭を駆け巡った。
―なんで?誰?
―たぶんあの子だ、クラスの人じゃない
―でもクラスのみんなに見られた
―部活でも居場所がないのに、クラスもダメになっちゃった
 教室から保健室までの距離は無限のようだった。階段をいくら急いで駆け下りても、まだ階段が続いている。降りても降りてもまだ降りなくちゃいけない。パニックで余裕がないはずの頭の片隅では「まるで今の自分の状況を表しているみたいだなァ」なんて、なぜかのんきに考えていた。
 私が息を切らして保健室に駆け込むと、先生は「今日はただごとではなさそうだ」と雰囲気を察したのか、事情を聞かずに私を座らせ、あたたかいお茶を淹れてくれた。私はそこからたぶん30分以上、何も言わずに静かに泣いた。一度収まってもすぐにまた溢れてくる涙も、「なんで私だけこんな目に遭うんだ」という思いも、どうしても止められなかった。
 1時間目の授業がはじまり、登校時の校内のざわつきがピタッと止んで静かになったところで、先生はようやく「何があった?」と声を掛けてきた。私はポツポツと先ほど起こったことを話した。1年からの部活のいじめですでに心が参っていることや、もう学校に居場所を見つけられないということも。話している間にまた悲しみがこみ上げてきて、何度も涙と鼻水を垂らしながら、話した。先生がそれに対してなんと言ったかということは忘れてしまったけれど、「今は辛いだろうけど大したことじゃない」「みんなすぐ忘れるから気にしなくていい」みたいな、当時の私にはかなり期待外れなものだったと思う。
 今考えれば、保健室の先生なんて特に中立な立場でいなければならない存在なので、いじめに大きくリアクションをすることは難しいし、声の掛け方もかなり慎重になるだろうということはわかる。それでも、私は吐き出した自分の苦しみが行き場を失って宙にポツンと浮いてしまったようで、ものすごく絶望的な気持ちになった。
 その後、先生はベッドの方へ行って寝ている誰かと話すと「すぐ戻るから」と保健室を出ていった。「うわ…人いたのかよ…最悪」と思いながら沈黙したまま動かずにいると、後ろから小さく「ごめん…」と男の子の声がした。振り返ると、1年の頃同じクラスだったAがカーテンを開けてベッドから出てきた。彼の「ごめん」が「込み入った話を聞いてしまってごめん」であることに気づくまでに数秒かかり、私はかなり遅れて「いや、こっちこそいるの知らなくて…ごめん…」と返答した。
 Aは野球部で、明るくてちょっと抜けている、誰からも嫌われるようなことのない純朴そうな子だった(少なくとも私にはそう見えていた)。彼は朝から具合が悪く、無理して登校してみたもののやっぱりキツくて登校後そのまま保健室で寝ていた、ということを私に説明した。私は「せっかく朝から具合悪いのに、無理して登校するなんてすごいなあ」とか「保健室の先生、なんで人がいること教えてくれなかったんだろう…」などとぐるぐる考えつつ「大丈夫?起こしちゃってごめんね」と言った。
ふたりの間にしばらくの沈黙が流れたあと、Aが口を開いた。*Kは私
A「そんなことになってたんだな」
K「…うん」
A「同じクラスのとき、全然気づかなかったよ」
K「まあ気づかないようにするし」
A「…」
K「…」
A「でもさ、もうおれが知ってるよ」
K「え?うん…?」
A「もうおれが知ってるから大丈夫 あと誰にも言わないからな」
 何が大丈夫か全然意味がわからないのに、私は泣いていた。「おれ今日はこのまま帰るんだ」と言った後、Aは黙った。戻ってきた保健室の先生が「お母さん、迎えきたよ」とAに声を掛け、Aは帰っていった。
 まったく何も解決してないけれども、別に仲良くも悪くもないAがただ知ってくれたというだけで、私は大きな安堵を感じたのだった。それ以来、Aと話す機会はあってもこの話をすることはなかった。もちろんすぐに状況がよくなったわけではないけれど、彼の言葉はたしかに私を支えていた。そして15年経ったいまも、この日のことをずっと忘れられないでいる。
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