2018/02/03
「ロマンス」と聞くと、甘い恋の物語のようなものを想像するかもしれない。
「ロマンス」ということばを調べてみると、
本来「ローマ的」という意味らしい。
"正式な古典文化"を意味する「ラテン」に対して
"大衆文化"を意味する「ロマンス」が生まれた。
つまり、はじめは一般の人々向けの物語すべてを指すことばだったということだ。
それがどうして恋物語だけを指すことばになっていったのだろうか?
と不思議になって、わたしはひとつ仮説を立ててみた。
「人生で味わう感情の多くを、恋物語のなかで描くことができるから」
という仮説だ。
これが真実かどうか確認するのはつまらないのでしないし、
実際には、まあどっちだっていい。
ただこんな理由だったらちょっといいなあと思う、仮説を立ててみたのである。
例えば、恋について歌った曲のなかでは、
「君に出会えた奇跡」とか「僕がそばにいるよ」とか「あなたはもう忘れたかしら」とか
いつも大体「あなた」と「わたし」のふたりの物語が描かれる。
実際の恋愛も、「わたし」が「あなた」と出会い、
喜びや悲しみを分かち合い、そして別れる。
実は、このプロセスは、まるっきり人生と同じだ。
人は生まれてから死ぬまでに数えきれないほどの誰かと出会い、
喜びや悲しみを分かち合い、そして別れる。
それをくり返していくことそのものが、人生といってもいいくらいだ。
誰もが誰かとかかわりあって生活する世界のなかで、
巻き起こる出来事とそのときの気持ちの多くが、
恋愛に置きかえても同じように考えることができるのかもしれないな、と思う。
「あなた」と「わたし」というふたり。
その最小単位の人間関係のなかで巻き起こることについて、人はとっても敏感だ。
「あなた」と過ごす時間はとても大切なものに思えるし、
「あなた」が悲しんでいたら「わたし」までなんだかものすごく悲しくなってくる。
「あなた」がいなくなってしまったら、「わたし」はもうダメかもしれないなんて考える。
ここにこそ、ロマンスが人の心を動かす最大の力が隠されているのではないだろうか。
「ロマンス」とは、恋愛という最も身近で人の心に届きやすいかたちをとりながら、
人生や生きている世界そのものについて物語ること。
誰かと出会い、たくさんの喜びや悲しみを分かち合い、そして別れる。
もし、そのひとつひとつの瞬間に訪れる感情をもっと色濃く、
もっと美しく表現したものを「ロマンス」と呼べるとしたら、
ロマンスについて考えることは、
今まで思っていたよりも意味のある、素敵なことに思えた。


2018年2月3日
サトーカンナバンド ワン・マン・ショウ
「ロマンス談義」トーク1より
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